意味のあるコンテンツ消費を

毎日、必ずYouTubeをタブで開いている。仕事を終えて、お酒でも飲みながら何かしらのコンテンツを見漁る。次から次へ出てくる関連動画をクリックしては、関連性があったりなかったりするたくさんの動画コンテンツの中をさまよっている。音楽、お笑い、アニメ、スポーツ、ペット、ゲーム・・・。ふと思った。

「何を探しているんだろう?」

インターネットが完全に社会のインフラになり、音楽も動画もすべて制約がなく楽しめる。加えてクリエイターツールが民主化され、誰でも作曲できる、動画も作れる、アプリも作れるこの時代には、コンテンツが溢れている。膨大なコンテンツを全て制約なく楽しめる。あなたは何を探しているだろうか。

子供の頃、毎週日曜の朝9時から始まるデジモンアドベンチャーが大好きだった。前夜はいつも眠れず、日曜の朝はいつも以上に早起きをして9時を待ち望んでいた。15分前にはテレビの前でスタンバイ。あと5分、あと2分と、待ちわびて9時を迎えていた。そこからの約20分は釘付け状態。イヤホンをしているわけでもないのに、周りの音も、光景も何も入って来ず、ただひたすらに僕はデジモンワールドの中にいた。そして9時23分にはエンディングを迎えてしまう。なんで9時30分までやってくれないんだと悲しい気持ちになりながらも、次回予告のわずかな内容に妄想を膨らませて、ただひたすらに次の日曜日を待ち望んでいた。

1週間に1度、わずか20分強しか楽しむことを許されないという、とんでもない制約の中でコンテンツを消費していた。でもその20分は何にも変えがたい、なくてはならない時間だった。1週休みの時は本当にショックを隠せなかったほど。

当時の僕には、日曜の朝はデジモンワールドで冒険をするという目的があった。目的を持ってコンテンツを消費していた。そして消費する意味があった。デジモンを見た僕は、この1週間における強烈なやる気に満ち溢れていた。選ばれし子供達が体を貼ってデジモンワールドを救おうとしている。だから僕も精一杯学校で勉強して、スポーツも頑張って、強い大人になってやろうとか、そういう気持ちになっていた。そのエネルギーは僕には必要だった。

最近、目的なくただただコンテンツを消費している時間が増えていることに気が付いた。というか、もはやコンテンツを消費しているのではなく、動画をクリックするという行為を繰り返しているだけかもしれない。なぜなら見たものの大半は記憶にすら残っていない。自分に何の影響も与えていない。

そうか。オフラインの出来事は消費する意味があったんだ。長い入場列に並んでまでライブに行っていたのは、車や宿をとってまで遠くのフェスに行っていたのは、家でも少し待てば観れるのにわざわざ映画館へ行っていたのは、そう意味があった。心待ちにその場所へ向かい、そのコンテンツを消費することしか許されないその場所で、最中は現実なんてすっかり忘れてしまって、1つ1つが記憶に刺さるように残っている。そしてそれを原動力にできていた。そうやって人生に色味を持たせていた。

目的を持とう。

意味のある消費をしよう。

きっとそれが、豊かな人生に繋がると思った。

レトロに宿る独特な汽空域

音楽を取り巻く環境の変化

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